福岡・博多のスペインレストランCAFE DEL CANDYオーナー。    サルバドール・ダリをこよなく愛し、ついにスペインレストランを開く。現在ではあらゆるスペイン的なものに興味があり 自称スペインの伝道師!?

Salvador Noli とは?

福岡県福岡市のスペインレストランを展開しているオーナー。 スペインとサルバドール・ダリをこよなくよく愛する男

<福岡・博多のスペインレストランCAFE DEL CANDYオーナー
サルバドール・ダリをこよなく愛し、スペインレストランを開く。   現在ではあらゆるスペイン的なものに興味があり、スペイン道をまっしぐらです。≫>

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サルバドール・ノリ日記!?へ

博多のスペイン  CAFE DEL CANDY

2001年12月、博多・店屋町に生まれた
スペイン・カフェ・バル・レストラン。
スペイン風ではなくスペインそのものを目指し、日々追求しています。現在ではレストランだけでなく、スペイン料理教室やフラメンコ、スペインツアーなども企画しています。

平尾の新スペイン ALQUIMISTA

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福岡県福岡市中央区平尾2-2-25 アルキミスタ・レスタウランテ 092-523-7393 alquimista.restaurante@gmail.com

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キリシタン巡礼2 

天草・島原の旅 2日目です。 昨夜は旅の疲れか21:00には寝てしまい、朝も気がつけば 8:30。 かなり寝てしまった・・・。 他の宿泊客はすでにみんなチェックアウトしてる・・・なぜそんなに急ぐのか。 あ、でも僕の予定でもこの時間はもう出発しててもいいかも・・・。 昨日までは快晴だったが今朝は少し雨模様。天草西海岸を南下。 下田温泉街を通り抜け、日本の村風景・・・!!! ゆるやかな傾斜の丘や谷、畑や田んぼ、その丘の上に、村を見下ろすように 建っているのは、真っ白な教会。 『大江天主堂』

おおーーっ!! 僕は重なるヨーロッパの訪問で協会はある程度見てきた。 しかしその教会が、このような日本の原風景の中に現れるとは・・・。 日本なのに日本じゃないような気さえしてくる。 決してミスマッチではない。 これが微妙にマッチしてるんです。 この教会は明治になってからフランス人神父によって建てられたものとか。 とても美しい教会で、もちろん現在でも地元カトリック信者の方々の 心のよりどころになってるとか。 次に目指すのは、津という漁村。 そこにまた教会があるのです。 『津天主堂』

小さな漁村の中にたたずむ、ゴシック調の教会・・・これは・・・。 なんとも言いようがない・・・日本の古い漁村に、スペインにもありそうな ゴシックの教会・・・んんん・・・。 感動です。 この津にしろ、先ほどの大江にしろ、江戸時代には、まさに隠れキリシタンとして 多くの信者の方々がいたところなのです。その時代には我々が想像も出来ないほど 厳しい弾圧に耐え忍んできたことが、様々な資料に残されています。 そんな厳しい弾圧を受けながらも、信心する・・・どういう気持なのでしょうか。 想像はすれども、全く同じ気持ちになどなれるはずもありません…。 心の中で涙し、その時代に思いを馳せます・・・。 僕はカトリック信者ではないのですが、その時代にものすごく惹かれるものが あります。 ザビエルがどのような気持ちで日本に居たのか、その後多くの司祭たちが希望を もって布教をしたのか・・・日本の大名でありながら、カトリックになっていった キリシタン大名の思い、過酷な生活を強いられながら信心した百姓や漁師、その 家族・・・。 そして手のひらを返すような、キリシタン禁教と弾圧・・・。 洗礼まで受けたのに弾圧する側になってしまった代官や侍たち・・・。 その動乱の中で現れたのがわずか14歳の 『 天草四郎時貞 』 いまだ研究が進められているが、この少年を総大将に、天草・島原の乱が 起こる。四郎は現在の熊本県上天草市大矢野島で生まれたとされる。 まずは天草上下島内での一揆。僕も訪れた天草・苓北町の富岡城を攻めるも あと一歩のところで退却、島原に渡る。 島原では、原城を中心に、一揆勢の精神的支柱となる。 僕も、その天草四郎の足をたどり、津をあとにし、鬼池港からフェリーに 乗り、いざ島原へ・・・。

そして、決戦の舞台、天草・島原の乱の終焉地、『 原城 』 へ。 現在の原城は、 一言で言うなら   何もない・・・。 ちょっとした原城の歴史の看板と、小さな小さな天草四郎の墓・・・。 原城一帯は、民家もなく、畑や野原に囲まれています。 そしてひと気も、ほとんどありません。 僕のように、興味がある人以外の方は行っても、おそらく何も感じないかもです。 何もない・・・僕はそこにまた惹かれるのです。今の時代、「何もない」というのは すごく不思議に感じるし、また何もないからこそ『何かある』と思うのです。 最初は勢いのあった一揆勢は島原城をも脅かしますが、 撤退して原城にたてこもります。 その数37000人 対する幕府軍は12万人。 壮絶な戦いでも、一揆勢は屈することがなく 幕府はついに、現在でいう官房長官を送りこみ、総攻撃・・・・ 一揆勢3万7千人(女・子供もすべて)は原城にて全滅、虐殺されます・・・。 実は現在でも発掘調査が続けられ、まだまだ人骨が眠っていたり、真実がはっきり されてない部分もあります。 何もないけど、何かある・・・ しかしそれは、恐ろしいなにかではないのです。 そこ原城は、なにかオーラに包まれている感じさえします。 僕にはそれが、ハライソ(天国)のような気さえするのです・・・。

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2007/08/21 12:08|CAFE DEL CANDYTB:0CM:0

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